半人のヤスの気まぐれ日誌

日々の感じた事を少しずつ書いていきたいと思います。

志村けんさんの訃報にショック

新型コロナ感染で入院していた志村けんさんが3月29日夜に死去。

志村けんさんの訃報を聞いて、とてもショックを受けています。

それは日本中のみなさんも同じように感じているでしょう。

 

私が訃報を知ったのは朝の情報番組スッキリでした。

速報が流れた瞬間にスタジオの雰囲気が急に変わり、訃報を聞いた近藤春菜さんが「お礼も何もできていないのに。受け止められない」と号泣していたのが印象に残っています。

 

Twitterでもみんなが訃報に悲しんでいました。

一緒に仕事をしたタレントだけでなく、お笑い芸人、ロックアーティスト、アイドル、漫画家、スポーツ選手、YouTuberなど、色んな人達が。

どれだけ偉大な人だったのか、改めて実感しました。

 

私が小学生だった頃はドリフの再放送とバカ殿をよく見ていました。

ビデオテープに録画するやり方も、ドリフとバカ殿を繰り返し見たい為に覚えました。

そして録画したビデオを後日に友達と一緒に見て、真似して、笑い合う。

本当に面白かったし、楽しい思い出を作ってくれました。

 

バカ殿で見られた一部のお色気シーンはありがたいものでした。

現在では考えられませんが、当時はテレビでおっぱいが見れる時代でしたからね。

性への興味があってもインターネットは普及してなくて、道に落ちてるエロ本を拾わない限りおっぱいを拝めなかったので。

そういうのも含めてバカ殿様は色んなことを教えてくれました。

勉強嫌いでバカな私にとっては2時間授業を受けるよりも、2時間のバカ殿を見た方が知ることは多かったと思いました。

 

加トちゃんケンちゃんごきげんテレビも大好きでした。

全国の面白いホームビデオを紹介するアイデアは志村さんの提案だったようですね。

1980年代後半、まだビデオカメラは高価でなかなか手が出せなかった時代。

それでも志村さんはウケるのを確信していたみたいですね。

投稿ビデオを紹介するって、現代でいうところのYouTubeと似てますよね。

人を笑顔にするために考えられた志村さんの発想はやっぱり天才的でした。

 

志村さんの死去は、日本のお笑い会の大きな損失です。

志村さんがテレビで活躍しているところを見てお笑い芸人になった人も大勢いるでしょう。

志村さんは日本のお笑いを作りました。

改めて、ご冥福を御祈りします。

 

私達にできる恩返しは、コロナウイルスに勝つことです。

絶対に負けない!